夏期休暇で京都から帰って来たヒロさん。帰って来ても不在中のいろいろな雑用処理で日々が過ぎていきましたが、一日くらいは音楽練習できる日を設けようということで場所を借りて3時間ほど練習することにしました。
市内の公共施設にその日の午後予約が取れ、久しぶりに2人で練習開始。2月に杏理鈴で練習して以来半年ぶりです。普段はそれぞれに一人で練習しているので、ギターのリズムを合わせたり、コーラス部分の音取りをしたりいろいろ確認しながら練習することができました。
そしてこの日偶然なことに隣の練習室では、くびき野フォーク村のセプテンバーのお二人が練習していました。別に示し合わせた訳じゃないのに。利用できる公共施設は他にもいくつもあるのに。なんという偶然!セプテンバーさんは9月の自主ライブに向けての練習ということでした。
その夜はまさやん宅で集まることに。ヒロさんが帰って来てるので、まさやん&やっちゃん夫妻が急きょ声をかけて音楽仲間を集めてくれて。
バーベキューして、流しそうめんして、スイカ食べて、次々にギター弾いて歌って。Windsongも午後に練習をした曲を何曲も歌わせてもらいました。
まさやん&やっちゃん、みんなありがとう。
全然音楽活動できていない私達の寂しい心境を察してくれて、でも誰もそんなことには触れなくて、ただ一緒に食べて飲んで歌って笑って寄り添ってくれる。本当に嬉しかったです。
2016年8月23日火曜日
2016年6月17日金曜日
ジョンデンバー ギターリサーチサイト
1〜2年前だったか、ジョンが使っていたギターの情報を集めてまとめているサイトを見つけ、それ以来時々眺めています。Guild、Yamaha、Taylorなどメーカー別に分けて写真付きで掲載されていて、その数と種類に圧倒され、ジョンが使っていたギターを揃えたいなんて野望は瞬時に打ち砕かれます。
彼が自ら入手したもの、メーカーなどから提供されたもの、共演者のギターを使ってみただけなどいろんなケースがあったでしょう。ジョンは生涯でどれだけの種類や数のギターを弾いてきたんでしょう。
今のようにアメリカからの情報がすぐに入って来なかった時代、日本で受け取れるジョンの情報はほんのごく一部だったから、ジョンがどんなギターを使っているのかよく知らなかった。
もともと私はギターに詳しくないので、今でもこんな便利なサイトを見ても実はその価値がわかっていません。
ジョンの日本でのコンサート時、ステージ上にずらっと並んだギターたちを舐めるように見つめていたギター男子たち、ギターを良く知っているみなさん、ぜひこの宝箱をご覧ください!
The John Denver Guitar Research Site
http://www.jdgrs.com/index.php
facebookはこちら。フォローしていると、新しい情報が流れてきます。
https://www.facebook.com/tjdgrs/?fref=nf
instagramはこちら。instagramだとアルバムのように並んでいてきれいです。
https://www.instagram.com/tjdgrs/
2016年6月15日水曜日
くびき野フォーク村とともに10年
また演奏活動じゃない日記です。
今年はくびき野フォーク村ができて10周年の記念すべき年にあたります。
ちょっとそのお話を。
2004年、上越の二葉楽器さん主催のフォークソングコンサートがリージョンプラザコンサートホールで開催されました。これで火がついたフォークソング好きの人達が翌年の同コンサートに多数参加。前年に結成していたWindsongもこの年に参加。ここで知り合った仲間で懇親会が開かれフォークソング団体を作る話が持ち上がりました。
そして2006年「くびき野フォーク村歌い語ろう会」でフォーク村が正式結成しました。ここから地域のイベントや自分たちで企画したイベントでの演奏活動が始まりました。
所属グループは自由に他団体のイベントに参加してもいいし、個々の活動制限は特にありません。外部からイベント出演依頼がフォーク村に来ると、内部で出演者を募り、ステージやPAに、できる人が参加協力するようになりました。
2007年から市内のコンサートホールを使ったくびき野フォーク村のコンサートも開催。この時は所属メンバーが一致団結してコンサートを運営します。
今年は10周年活動は特に予定されていませんが、このコンサートだけはいつもよりは少し力を入れて臨もうと計画中です。
この10年フォーク村発展、継続のために、それぞれ尽力してきましたが、Windsong にとってフォーク村ができたことで受けた恩恵は計り知れません。
Windsongを結成して初めて出た「ぬくもりフェア」のステージで、マイクスタンドの高さを調整する方法さえ知らなかった私ですが、その数年後には自分たちでライブを企画し、場所を交渉し、宣伝し、集客し、当日のライブ設定ができるまでになりました。一人でという意味ではありません。すべてフォーク村の仲間やその繋がりで知り合った人たちに助けてもらってのことです。心から良い仲間に出会えたと思います。
さて、演奏活動ができない昨今ですが、フォーク村の裏方では活動しています。
毎月のサンデーライブのお手伝い、コンサートの司会、そして4月からフォーク村facebookの担当に。担当者は複数いますが、今のところ写真や記事は私が掲載しています。
まだ2ヶ月しか経っていないのに、見てくださっている人がどんどん増えているようで、「見ましたよ」「FBで知って来ました」と声をかけていただくことも。本当にありがとうございます。
よろしければ、facebookアカウントのある方は「くびき野フォーク村」で検索してみてくださいね。さて、しばらくは裏方でがんばります。みなさん、どうぞよろしく!
今年はくびき野フォーク村ができて10周年の記念すべき年にあたります。
ちょっとそのお話を。
2004年、上越の二葉楽器さん主催のフォークソングコンサートがリージョンプラザコンサートホールで開催されました。これで火がついたフォークソング好きの人達が翌年の同コンサートに多数参加。前年に結成していたWindsongもこの年に参加。ここで知り合った仲間で懇親会が開かれフォークソング団体を作る話が持ち上がりました。
そして2006年「くびき野フォーク村歌い語ろう会」でフォーク村が正式結成しました。ここから地域のイベントや自分たちで企画したイベントでの演奏活動が始まりました。
所属グループは自由に他団体のイベントに参加してもいいし、個々の活動制限は特にありません。外部からイベント出演依頼がフォーク村に来ると、内部で出演者を募り、ステージやPAに、できる人が参加協力するようになりました。
2007年から市内のコンサートホールを使ったくびき野フォーク村のコンサートも開催。この時は所属メンバーが一致団結してコンサートを運営します。
今年は10周年活動は特に予定されていませんが、このコンサートだけはいつもよりは少し力を入れて臨もうと計画中です。
この10年フォーク村発展、継続のために、それぞれ尽力してきましたが、Windsong にとってフォーク村ができたことで受けた恩恵は計り知れません。
Windsongを結成して初めて出た「ぬくもりフェア」のステージで、マイクスタンドの高さを調整する方法さえ知らなかった私ですが、その数年後には自分たちでライブを企画し、場所を交渉し、宣伝し、集客し、当日のライブ設定ができるまでになりました。一人でという意味ではありません。すべてフォーク村の仲間やその繋がりで知り合った人たちに助けてもらってのことです。心から良い仲間に出会えたと思います。
さて、演奏活動ができない昨今ですが、フォーク村の裏方では活動しています。
毎月のサンデーライブのお手伝い、コンサートの司会、そして4月からフォーク村facebookの担当に。担当者は複数いますが、今のところ写真や記事は私が掲載しています。
まだ2ヶ月しか経っていないのに、見てくださっている人がどんどん増えているようで、「見ましたよ」「FBで知って来ました」と声をかけていただくことも。本当にありがとうございます。
よろしければ、facebookアカウントのある方は「くびき野フォーク村」で検索してみてくださいね。さて、しばらくは裏方でがんばります。みなさん、どうぞよろしく!
2016年6月3日金曜日
停滞する時もあるけど好きなことはきっと続いていく
2月に更新してから3ヶ月以上も経ってしまいました。
何をしていたのかと言いますと、たいして何もしていないので書くこともないな〜という状態でございました。久々に更新したということは何か活動するのかと言うとそれも何もない状態でございます。
2月には、京都で2日連続フォーク&ブルーグラスライブに参加する予定で、その前の週に杏理鈴で練習していた訳ですが、京都で私達2人共に災難が降りかかり、演奏する機会を逃してしまいました。
以前町家ライブに誘ってくれたT氏が、また同じライブに行くために迎えに来られるので楽しみにして待っていたある夕べ、私の体調がどどーっと崩れ、その夜のライブ行きはキャンセルに。翌朝近くの診療所へ駆け込んでお薬もらって点滴も打ってもらってなんとか回復。ウイルス性胃腸炎でした。ぐったりしました〜。
でももっと深刻だったのはヒロさんの方。1ヶ月以上続いていた腰痛が夜も眠れないほどだんだんひどくなっていました。
病院へ通っていくつかの検査をして、お薬をいろいろ処方してもらって、しばらく養生が必要ということで、3〜4月は京都と上越で養生していました。腰に負担がかからないよう気をつけていれば日常生活はまあまあ問題なかったのですが、ギターを抱える姿勢が腰には良くなくて、練習するには無理がありました。
そして現在はどうなったかと言いますと、仕事もギター練習も普通にできるほど回復し、京都で元気に暮らしています。良かった良かった!
あんまりこんな話はしませんが、私には持病があって、1年のうち4分の一くらい自由に動き回れない時もあります。それでもダメな時期はじっと我慢、出来る時が来たらひるまず好きなことをやって行くという気持ちでずっとやってきました。
音楽関連で仲良くお付き合いさせていただいてる人達を見てもだんだん年齢を重ねるごとに体調を崩したり病にかかる人が増えて来ました。
病気だけでなく仕事や家庭や家族の問題で思うようにいかないことも出てきて音楽活動どころじゃなくなる時期もあります。
それでも演奏する機会と場所があり、それを聞いてくれる人達がいて、一緒に活動する仲間がいるおかげでずっと続けて行こうという気持ちを保持することができます。
Windsongの活動を始めて12年になりました。10周年の年は、よーし大きなイベントを企画するぞ!と張り切っていたのに、ヒロさんが富山に長期出張。数ヶ月後には滋賀に。そして次の年こそはと思ったら京都に転勤になってしまいました。
それで何周年とか考えずにできる時にできる状態で精一杯楽しもうと考えるようになりました。
だってこの先もずっと続けて行きたいから。
ずっとジョンの音楽と関わっていたいから。
何をしていたのかと言いますと、たいして何もしていないので書くこともないな〜という状態でございました。久々に更新したということは何か活動するのかと言うとそれも何もない状態でございます。
2月には、京都で2日連続フォーク&ブルーグラスライブに参加する予定で、その前の週に杏理鈴で練習していた訳ですが、京都で私達2人共に災難が降りかかり、演奏する機会を逃してしまいました。
以前町家ライブに誘ってくれたT氏が、また同じライブに行くために迎えに来られるので楽しみにして待っていたある夕べ、私の体調がどどーっと崩れ、その夜のライブ行きはキャンセルに。翌朝近くの診療所へ駆け込んでお薬もらって点滴も打ってもらってなんとか回復。ウイルス性胃腸炎でした。ぐったりしました〜。
でももっと深刻だったのはヒロさんの方。1ヶ月以上続いていた腰痛が夜も眠れないほどだんだんひどくなっていました。
病院へ通っていくつかの検査をして、お薬をいろいろ処方してもらって、しばらく養生が必要ということで、3〜4月は京都と上越で養生していました。腰に負担がかからないよう気をつけていれば日常生活はまあまあ問題なかったのですが、ギターを抱える姿勢が腰には良くなくて、練習するには無理がありました。
そして現在はどうなったかと言いますと、仕事もギター練習も普通にできるほど回復し、京都で元気に暮らしています。良かった良かった!
あんまりこんな話はしませんが、私には持病があって、1年のうち4分の一くらい自由に動き回れない時もあります。それでもダメな時期はじっと我慢、出来る時が来たらひるまず好きなことをやって行くという気持ちでずっとやってきました。
音楽関連で仲良くお付き合いさせていただいてる人達を見てもだんだん年齢を重ねるごとに体調を崩したり病にかかる人が増えて来ました。
病気だけでなく仕事や家庭や家族の問題で思うようにいかないことも出てきて音楽活動どころじゃなくなる時期もあります。
それでも演奏する機会と場所があり、それを聞いてくれる人達がいて、一緒に活動する仲間がいるおかげでずっと続けて行こうという気持ちを保持することができます。
Windsongの活動を始めて12年になりました。10周年の年は、よーし大きなイベントを企画するぞ!と張り切っていたのに、ヒロさんが富山に長期出張。数ヶ月後には滋賀に。そして次の年こそはと思ったら京都に転勤になってしまいました。
それで何周年とか考えずにできる時にできる状態で精一杯楽しもうと考えるようになりました。
だってこの先もずっと続けて行きたいから。
ずっとジョンの音楽と関わっていたいから。
2016年2月13日土曜日
隠れ家で練習していると
上越史上稀に見る雪の少ない冬にもかかわらず、今年も冬眠しているWindsongです。新年の挨拶をするにはもう2月中旬、言うタイミングを逃してしまいました。いつこのブログが更新されるやらわからない中、お立ち寄りいただいたみなさまどうもありがとうございます。
さてさて、今週ヒロさんが出張で上越に帰ってきたので、たまには練習しようかと言うことになり久しぶりに喫茶杏理鈴におじゃましました。マスターに会うのも何ヶ月ぶりでしょう。「練習?2階を使えばいいよ。」と快く場所を提供してくれました。優しい♪
離れて暮らしている分、一緒に練習する機会がほとんどなくなっているので、まずは慣れた曲から練習開始。徐々にあんな曲こんな曲とお試しがてら歌ってみたり、どんな風に弾いてみるかと相談したりしていると、突然「こんにちは」と言う声が。
おお!吟遊詩人のまさやんではありませんか。
こっそり杏理鈴の2階で練習していたのにどうしてわかったの!?ここで練習することは急に決めたことで、誰にも話していなかったのに。
たまたま近くに用がありちょっと杏理鈴に立ち寄っただけのまさやんの方もびっくりされたようでした。偶然の出来事でしたがおしゃべりもできて楽しいひと時でした。
さてさて、今週ヒロさんが出張で上越に帰ってきたので、たまには練習しようかと言うことになり久しぶりに喫茶杏理鈴におじゃましました。マスターに会うのも何ヶ月ぶりでしょう。「練習?2階を使えばいいよ。」と快く場所を提供してくれました。優しい♪
離れて暮らしている分、一緒に練習する機会がほとんどなくなっているので、まずは慣れた曲から練習開始。徐々にあんな曲こんな曲とお試しがてら歌ってみたり、どんな風に弾いてみるかと相談したりしていると、突然「こんにちは」と言う声が。
おお!吟遊詩人のまさやんではありませんか。
こっそり杏理鈴の2階で練習していたのにどうしてわかったの!?ここで練習することは急に決めたことで、誰にも話していなかったのに。
たまたま近くに用がありちょっと杏理鈴に立ち寄っただけのまさやんの方もびっくりされたようでした。偶然の出来事でしたがおしゃべりもできて楽しいひと時でした。
写真:まさやん提供 |
2月なのに良く晴れた一日、眩しく夕日が差し込むログハウスの2階は暑いほどでした。夕日を浴びながらSunshine On My Shouldersなどを歌って、暗くなる頃にギターをしまいました。マスター、どうもありがとうございました。
さあ、そろそろ今年もどこかで演奏できる機会を作っていかなくちゃ。
みなさま今年もどうぞよろしくお願いします。
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