2015年2月17日火曜日

All Of My Memories 紹介記事

昨年発売された『All Of My Memories』についての素敵なアルバム評がありましたので、紹介いたします。日本語には私が訳しましたのでいろいろ間違いや抜け落ちがあるかもしれませんが、どうぞご容赦ください。
元記事はこちらです。



John Denver: All Of My Memories : The John Denver Collection
ロブ カルドウエル

ジョン デンバーは1970年代に絶大なる人気を集めたが、最近の音楽や芸能界の風潮の中では、彼のような健全で真面目なパフォーマーはそのような座は得られないだろう。皮肉で言っているのではなく、あの頃とは世界が変わってしまった。デンバーは絶頂期、トゥナイトショーやグラミー賞のゲストホストとして何度も出演し、人気映画(オーゴッド 1977年)に共演し、何百万枚ものアルバムを売り上げた。生まれながらのショウマンだった。彼は 音楽活動を始めた60年代のコーヒーハウス時代から、テレビに出るようになっても、何千もの聴衆を前にしても気楽な友人のような人柄であった。

彼の持つイメージは気さくで誠実なもので、時に作られたものだとしても、そこが彼の魅力だった。それが弱点となり批評家たちの的になりやすかったともいえるが、やはり真正直という印象が彼の強みでもあった。ベトナム戦争やウォーターゲート事件の渦中にあった60年代の後遺症からアメリカが回復するために、デンバーの素朴な楽観主義が解毒剤となった。

代表作「ロッキーマウンテンハイ(1972年)」が脚光を浴びたことにより自然擁護者としての彼の役割が、あの時代の自然回帰運動に見事にはまったのだった。さらに陽光、山々、大自然を歌った親しみやすいフォークポップの歌は、平均的な中間層の夢見る新しいライフスタイルへと繋がった。

『All of My Memories:The John Denver Collection』は、本格的に彼のキャリアを評価した初のボックスセット企画だ。一般的に知られているよりも実は複雑で少しニュアンスの違うアーティストとして描かれたポートレイトのようだ。どの曲も彼のアルバムの代表曲(当然ながら70年代がかなり中心となっているが)であり、大まかに年代順に並んでいる。

このアルバムは、1964年のデモ版で19歳当時の意欲に満ちた*トルバドゥールの2曲から始まる。そんな早い時期から自信に満ち 才能を発揮した歌を聞かせてくれている。デンバーはすぐに60年代の「グレートフォークミュージックスケア」の波に乗った。「Darcy Farrow」のような伝統曲や時には政治風刺の歌が、自身や(ミッチェル)トリオの形式となった。また彼は同時期「Leaving On a Jet Plane/悲しみのジェットプレーン」を書いている。ピーター ポール アンド マリーがカバーして広く注目を集めることになった曲だ。初期のレコーディングでもともとは「Babe, I Hate to Go」というタイトルだったその曲もここに収録されている。
〔*トルバドゥール: 11ー13世紀の南ヨーロッパで恋愛や騎士道の歌を吟じた抒情詩人〕
〔great folk music scareの意味がつかめませんでした。〕


彼は1971年のアルバム『詩と祈りと誓い』でヒットを飛ばしたが、「Sunshine On My Shoulders 」や「Take Me Home, Country Roads」など、曲の半分が代表曲と言えるアルバムだ。このボックスセットのタイトルとなった曲「All of My Memories」は、その次に発売されたアルバム『Aerie』の中の一曲だ。ジョン デンバー作品の中で、秘宝の一つと言ってよい曲である。トゥーツ シールマンスのハーモニカが加わった穏やかなフォークブルースで、故郷や家族や自然の中に魂の救済と強い憧れを求めた歌だ。

彼のカバー選曲も巧みだ。ボックスセットに収録している「I Guess He'd Rather Be in Colorado」「Blow Up Your TV」「Boy From the Country」などは他人の曲だが、まるでデンバー自身が書いた曲のようである。初期の頃、アルバムの1〜2枚分はできたであろうほどビートルズナンバーをカバーし録音していたはずだが、不思議なことにここには全く含まれていない。デンバーのために書かれたような世界観の「Mother Nature's Sun」(『Rocky Mountain High』収録)以外は。

彼の曲は森や花だけではない。「Prisoners」では力強いパーカッシブなギターサウンドが響く。兵士と母国にいる妻や子どもの視点からの反戦歌だ。また彼は「Like a Sad Song」「I'm Sorry」「Looking For Space」などで、明るく陽気なイメージから離れた表現をすることもあった。例えばこんな歌詞がある。「時には鷲のように飛び、時には深く絶望する」。

70年代後半、デンバーのアルバムに、エミルーハリスの Hot Bandメンバーが加わった。彼らはまたエルヴィス プレスリー、グラム パーソンズのミュージシャンでもあった。彼らが加わることで、見事な技の「Baby, You Look Good Tonight」や、早技のカントリーピッキング曲の「Sweet Melinda」、ロックの「Downhill Stuff」など、技巧の層の厚みが増した。

80年代前半にはデンバーは「アダルトコンテンポラリー」路線に進む。メガネを捨て髪を短くした。より柔らかな音楽になったが、その誠実さは失われることはなかった。オペラ歌手プラシド ドミンゴとのデュエット曲「Perharps Love」はヒットしたが、今にしてみると二人の違いすぎるボーカルのチグハグ感は否めない。しかしそんな頃でも決して自然から離れることはなかった。「Love Is the Master」や「Wild Montana Skies」(エミルーハリスとデュエット)などの曲で、彼を有名にした音の世界に回帰している。


『All of My Memories』はデンバーの音楽への良き入門作となっている。そして長年のリスナー向けに希少なナンバーとコロラド音楽殿堂会長の論評がついている。その文章がジョンデンバーのより完璧な人物像を知る手助けをしてくれる。さらにほとんどの曲がリマスターされていることも加えておこう。「Rocky Mountain High」は2007年に2番目のコロラド州歌になった。最近では現代のアーティスト達によるトリビュートアルバムが発売。そしてこのボックスセット。長くかかったがデンバーがついに再評価される時が来た。




2015年2月6日金曜日

警部マクロード放送から40年

1975年の1月、NHKで放送が始まったドラマシリーズ「警部マクロード」。当時中学生だった私はこのドラマで、その後の私の人生を大きく左右する人物と出会いました。
『コロラド大追跡』という回にゲスト出演していたジョン デンバーです。出会ったと言ってるけど一人で勝手にそう思っているだけやん!というツッコミが聞こえてくる気がしますが、出会ってしまったとしか言いようのない瞬間でした。




ジョンが画面に登場した瞬間、画面から何か強い衝撃波が押し寄せてきました。そしてある直感が働きました。「この人は私に大きく関わってくる人だ!」と。



ドラマのクレジットで「ジョン デンバー」と言う名前を覚え、アメリカの歌手らしいよと友人から聞き、近所のレコード店に情報を求めて足を踏み入れてみました。ベストアルバムを見つけ、お小遣いをはたいて購入しました。自分で買った初めてのレコードがジョンのアルバムでした。
レコードを聞いてみるとそこには私が探し求めていた音楽の世界が広がっていました。それまでは学校の音楽の教科書にでてくるフォスターやスコットランド民謡などの、自然の景色や人々の営みを歌った美しい旋律の曲が好きなくらいで、流行の音楽とは無縁な生活でした。

それからジョンの歌の世界やその人柄にのめり込み、アルバムを買い揃え、ファンクラブに入り、関西での活発なファン交流活動へと発展していきました。
1981年には念願だったジョンのコンサートを聞くことができ、その後ジョンと直接会う機会が幾度かありました。

ジョンは私にとっていつも手を伸ばして追い求める光のような存在でした。
1997年にその光が突然消えてしまいました。その頃の気持ちはいまだにうまく言葉にできません。
ただ、やっぱりジョンと出会って良かったと思っています。40年経ってもジョンの音楽が私に勇気を与えてくれる。



1本のドラマを見たことから広がった世界。
あの時「警部マクロード」を見ていなかったら全然違う人生になっていただろうと思います。やっぱりジョンを初めて見た時の直感は当たっていたんだと思うのです。


テキサス州タオスからニューヨーク市警にやってきた型破りなマクロード警部。
毎週このドラマを見るのが本当に楽しみでした。

2015年2月3日火曜日

ピート ハトリンガーの「シーベグ シーモア」

1990年代にジョンのバンドメンバーに加わっていたピートハトリンガーの最近の動画を紹介します。

アイリッシュ音楽の「Si Bheag, Si Mhor」(シーベグ、シーモア)は誰もが一度は耳にしたことのある曲ではないでしょうか。


ピートのギターで奏でられる優しい音色に心が洗われます。ギターという楽器の素晴らしさを堪能させてくれる演奏です。

Si Bheag, Si Mhor